古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集 「み」
み
三川内焼(みかわちやき)
長崎県佐世保市で焼かれた磁器で平戸焼とも呼ばれる。
朝鮮陶工によって藩窯(はんよう)として始まる。
見込(みこみ)
器の内面全体か、内面の中央部分のこと。茶碗などの内部の底のあたりのこと。
三島手(みしまて)粉青沙器印花(李朝15世紀)
別名は暦手(こよみで)。線彫りや印で押した花文を現す象嵌(ぞうがん)技法。もとは朝鮮李朝の技法。
三島の、線彫りや印で押した花文を現す象嵌(ぞうがん)技法によって焼かれた唐津焼。
朝鮮の陶磁器で、濃い鼠色の素地土白い化粧土で覆った一群の半磁半陶質のものをいいます。
三島は高麗青磁象嵌手の変化したものと思われ、手法や形状からいろいろの名称が付けられています。
彫三島・釘びり三島・刷毛目三島・絵三島・花三島・檜垣三島・礼賓三島・角三島・渦三島・御本三島・半使三島・堅手三島・伊羅保三島・黒三島・二作三島・三作三島などがあります。
これらは技法的に分類すると三種に分けられ、印花・刷毛目・彫紋です。
文様は暦手が最も多く、檜垣紋・印花紋・文字などがある。高麗雲鶴青磁に見られる飛雲・鶴・丸紋(狂言袴)・雁木・波紋などもみうけられるが、人物動物紋は見られません。
産地は忠清南道公州郡鶏龍山窯のほか八道一三六ヶ所と伝えられています。
名称は暦手に点綴された線条紋と花紋とを交えた文様が三島大社(静岡県)より頒付していた暦に類似しているためとするのが通説となっています。
慶長の役後、渡来した韓国南部地方の陶工たちによって伝えられた技法を示すものに三島唐津があります。
三島唐津には象嵌・刷毛目・型紙刷毛目などがある、いずれも白土を使用する点が共通しています。
なお韓国では1万のことを粉青と呼んでいます。
三島唐津(みしまからつ)
慶長の役後、朝鮮半島の陶工により上画の粉青沙器印花風(日本でいう三島手)が伝えられました。
鉄分の多い土は焼くと黒くなりますが、白く見せるために胎土の上に白土を使って化粧する技術が刷毛目、粉引であるが、刷毛目、粉引のままのものもありますが、白化粧のあと線彫りした彫三島・櫛を用いて文様を書き出した櫛刷毛目・染色の型紙を使って文様を描き出した型紙刷毛目・胎土のやわらかいうちに刻印を押たり、線彫りをして、白土、赤土を埋め込んだ象嵌・文様を掘り出した掻き落としなどの技法を用いて、唐津独特のものに発達し三島唐津になりました。
水挽き(みずひき)
粘土と接する手の滑りを良くするために、水を使って轆轤(ろくろ)を挽き成形すること。
手のすべりをよくするために、水をつけることからこの名があります。
水指(みずさし)
茶道具の一つ。
釜に補給するための水や、茶碗をすすぐための水を入れておくための蓋つきの器。
美濃焼(みのやき)
岐阜県の美濃地方東部で焼かれた陶磁器で、奈良時代の須恵器(すえき)から始まり、独自に志野(しの)、黄瀬戸(きぜと)、瀬戸黒(せとぐろ)を製作していました。
岐阜県東南部に広がる美濃窯の中で、土岐市の久尻から可児市の大萱にかけての一帯の窯は特に優れた桃山様式の焼物を焼いたことで知られています。
有名な「国宝志野の名碗 国宝指定の『卯花墻』」は、そうした作品のひとつで、大振りで筒形の力強い造形に、奔放な筆致で橋と苫屋が描かれています。
志野のなかでも古格の堂々たる作風を示す作品ですね。
国宝に指定された国産のお茶碗は2碗しかないんですが、この『卯花墻三井家所蔵』がその内の一つです。
もう一つは諏訪の「サントリー服部美術館」所蔵の白楽茶碗(銘不二山)本阿弥光悦作です。
深山路(みやまじ)
奥高麗茶碗・銘『深山路』をいいます。
茶道筌蹄(てんせい)※に「高麗人来たりて唐津にて焼し故高麗の方より奥といふ事なり」とあり、然れども奥は古きといふ意味なり。
此種の陶器肥前唐津にて焼しか、或は朝鮮の或る地方にて造りしか、今之を確知するに由なしと雖も、兎に角一手古きを以て奥高麗とは呼ぶなるべし。
而して深山路の銘は蓋し此奥と云ふに縁故をもとめたる者の如し。
『大正名器鑑』より
※筌蹄(てんせい)とは、魚を捕る筌(うえ)と兎を捕る蹄(わな)。目的が達成されると不要になるもの。目的を達成するために利用する道具・手段。
書籍:とんぼの本:唐九郎のやきもの教室(加藤唐九郎)の中にも紹介されています。