古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集

古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集 「す」

吸出し(すいだし)

湯のみが筒形なのに比べ、口に向かって開いている茶碗。もともとは茶会で白湯を出す際に用いる器。

水簸(すいひ)

水に入れて攪拌(かくはん)し、土の場合は精粗を分別し、灰の場合はアクを取り除く作業。
水中に土を入れよくかき混ぜると砂などの粒子の粗いものが沈んで、細かい粒は泥状になります。
この泥土の水分を蒸発させると細かい粒子のみの素地土が得られます。

最近の研究で、古唐津は粘土ではなく、砕いた石を 原料にしているのではないかと考えられてます。
唐津市周辺に大量にある砂岩をから質の良い土を取り出すことができる方法が簸(すいひ)です。

まずは細かく砕いた石を水にいれます。
焼き物の原料となる目の細かい良質な土は沈殿せずに水にとけています。
この水を何度もこして、粒子のそろった土を取り出します。
堅く焼き締まる秘密はこの土の成分にあります。
実はガラスの原料となる長石が大量に含まれているのです。

「唐津焼 (NHK美の壺)」 NHK「美の壺」制作班より

須恵器(すえき)

須恵器(すえき)とは、青く硬く焼き締まった土器で、古墳時代の中頃(5世紀前半)に朝鮮半島から伝わった焼成技術をもって焼いた焼き物のことをいいます。
それまでの日本には、野焼きで焼いた縄文土器や弥生土器、土師器など赤っぽい素焼きの土器しかありませんでした。
それまでの焼き物と須恵器が大きく異なっているのは、その焼成技術にあります。
野焼きでも1,000度近くまで温度は上がりますが、周りが覆われていないので、すぐに熱が逃げて温度が安定しません。
窯を使うことにより高温状態を保つことができるようになりました。

須恵器はまたたくまに全国に広がり焼かれるようになりました。
当時の人々にとって、重要な食器として使われたことでしょう。
その後15世紀にいたるまで須恵器の伝統は続きました。
珠洲焼がその一つの例です。
須恵器は今日にも続く焼き物に重要な役割をもっていたといえるでしょう。

砂目跡(すなめあと)

器を重ねて焼くときに、器どうしがくっついてしまうのを防ぐため間に砂をまきます。
その時に残った跡を砂目跡といいます。

墨弾き(すみはじき)

墨で文様を描き、上から絵具で施して焼くと、墨上の絵具が剥がれて白く抜ける下絵付けの技法。

墨流し(すみながし)

墨で文様を描き、上から絵具を施すと、墨に入っている膠分で絵具をはじき、その後、焼くと墨も焼き飛び、白い文様が出てくる白抜きの下絵付けの技法で、白釉に鉄釉を垂らして竿で撫ぜ、マーブル状で焼成すると、水面に墨を流したようになります。

スタンパー(すたんぱー)

石や土などを粉砕するための装置。
スタンパーで突いた石類はポットミルで細かくしたものに比べ粒子に角があり、天然材料を使用する場合は味が出てきます。ポットミルで細かくしたものは、均一になるので用途に合わせて使用することが作品の出来を少しだけ変化させることができます。

素焼(すやき)

成形した器を乾燥させ、釉(うわぐすり)をかけずに比較的低い温度で焼成すること。
温度は、土にぎりぎり戻ることができる400度から800度の間で焼成します。
素焼きの効果としては、作品を扱いやすくなりますが、釉薬を浸けるときに吸水が大きくなるので釉薬の濃度管理が必要となります。