古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集

古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集 「そ」

象嵌(ぞうがん)

生乾きの素地(きじ)に文様を付けたり、素地(きじ)と異なる色の土で埋めて、はみだし部分を削り文様を表す装飾法。

青磁象嵌は高麗時代の朝鮮で独自の発達をとげた技法。
胎土に文様を彫り込んで白土、赤土を埋め、いったん素焼きをしたのち青磁釉をかけて焼成すると、白土は白く、赤土は黒く発色する。
胴の一面に柳と葦、一面に竹と梅樹、さらにもう一面に葦の図がいずれも器面いっぱいにのびやかにあらわされおり、高麗独特の繊細な情感がもりこまれています。

染付(そめつけ)

呉須(ごす)やコバルトを主原料とした絵具を用いて下絵付けし、その上に透明釉(とうめいゆう)を掛け焼いたもの。
白素地に藍色の顔料である酸化コバルト(呉須)を含む顔料で絵付けをし、さらに透明な上釉を掛けて還元焼成をした磁器の総称で、中国では、青花(せいか)・釉裏青(ゆうりせい)と呼ばれています。
また下絵付けを施したものに対する広義の名称として用いられる場合もある。

「染付」とは、もともとは染織用語から派生した言葉で、室町時代にはじめて中国から輸入されたときに、見かけが藍色の麻布(染付)に似ているので日本ではその名で呼ばれるようになった。
中国では青花(華)・釉裏青と呼び、英語ではブルー・アンド・ホワイトという。

文献的には室町時代の『君台観左右帳記』には染付の語は見えず、1603年(慶長8)刊行の『日葡辞書』に掲載されています。

染付は1,300度といった高火度の還元焼成を必要とするため、相当の築窯技術の発達を背景としていなければなりません。
中国における染付は宋時代に創設されたましたが、完成を見るのは明の宣徳期(1426~1435)です。

朝鮮の染付は李朝期(16世紀末)に始まるといわれ、日本の染付は、元和・寛永期(1615~1644)李朝染付けの流れをくむ肥前有田の金ケ江三兵衛(李参平)を創始者とされています。
文化・文政期(1804~1830)には日本の染付は全盛期を迎えました。

染錦(そめにしき)

色絵(いろえ)と染付(そめつけ)を組み合わせたもので、とくに伊万里(有田)ものが言われる。色絵だけは錦手(にしきで)ともいう。