古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集 「た」
た
高取焼(たかとりやき)
福岡県朝倉郡で、朝鮮陶工八山(やさん)が開窯。朝鮮の影響が残る古高取、遠州(えんしゅう)の指導による遠州高取(えんしゅうたかとり)など茶器が有名。
高取焼は元々、福岡県直方市にある鷹取山の麓にて焼かれており、朝鮮出兵の際に陶工、八山(八蔵重貞)を連れ帰って焼かせたのが始まり。
窯場には永満寺窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯があり、これらを「古高取」と呼んでいます。
江戸時代には黒田藩の御用窯として繁栄、元和年間には唐津からの陶工を招き、技術を向上させています。
そして寛永年間に入ると、二代目藩主黒田忠之は親交の深い小堀遠州と交流を深め、遠州好みの茶器を多く焼かせました。
それが縁で、遠州七窯の一つに数えられ、茶陶産地として名を高めることとなった。
この頃の中心は白旗山窯で、遠州好みの瀟洒な茶器は「遠州高取」と呼ばれた。
その後は小石原に移り(小石原高取)、より繊細な作品が多く焼かれました。
以後は、福岡の大鋸谷に移転(御庭高取)、18世紀には「東皿山」と「西皿山」に分けられ、細分化されていった。
今日では数カ所の窯元が至る所に残っており、廃窯した窯場にも再び火が灯り再興しています。
武野紹鴎(たけのじょうおう)
武野紹鴎は堺の町衆です。
通称は新五郎、名は仲材、大黒庵と号しました。
堺では屋号を皮屋といい、おそらく武具甲冑などに関係する商家であったと思われます。
武野家は堺では最も富裕な家でしたが、紹鴎は若き日に京都にのぼり連歌に没頭しました。
当時、歌学の権威であった三条西実隆について古典を勉強し、『詠歌大概』を授けられました。
おそらくこうした連歌の素養が、紹鴎の茶の湯に大きな影響を与えたと思われます。
堺に戻ってからは、南宗寺に住した禅僧大林宗套に参禅し、茶の湯に開眼すると同時に茶禅一味のわび茶を深めることができました。
紹鴎は名物といわれる道具を60種も所有する一方、白木の釣瓶を水指に見立てたり、竹を削って自ら茶杓をつくったり、あるいは青竹を切って蓋置にするなど、清浄な白木の美を茶の湯に加えることに成功しました。
こうした創造的な茶の見方が紹鴎の弟子千利休に伝えられ、茶の湯は大成されることになります。
叩き(たたき)叩き作り(たたきづくり)板起こし(いたおこし)
内側に当て具をして、外側から叩き締める成形法で、唐津独特の伝統技法。
古くは紀元前より中国で生産され、日本には朝鮮半島を経て伝わり、様々な変化を遂げ須恵器となり日本各地に伝わり生産されるようになりました。
須恵器と唐津の叩との関係は定かでありませんが、朝鮮半島には新羅のころの焼き物があるがそれと古唐津の叩壺なんかはよく似ています。
室町末期より桃山期では日本の各地ではあまり見受けられませんので、これより判断するには、この叩技法は、唐津へ朝鮮半島より轆轤(ロクロ、円盤状の上で焼き物の生地を成形する道具)の上での水引きをする轆轤成形技法と供に伝わってきたと推測されています。
今日でも東南アジア周辺や世界各地でもこの技法により生産されています。
その特徴は見た目より軽く、瓶・壺・水指・花入・徳利など袋状になった形の生地を成形するときに使われている技法で、その意味合いとして、穀物を入れたり、水・油・塩など入れたりして持ち運びするときに器自体が重いより軽い方が適したと考えらています。
当然、水引きの轆轤成形した物よりも叩成形した方が薄く軽く仕上がります。
叩成型法とは、轆轤の上に底の部分となる板を作りその上から紐状の撚り土を積み上げていく紐作り技法で円筒を作り、外側に木製の叩板で内側に丸太のしんで作ったあて木をあて外側より叩ながら、土を締め薄くのばし成形をする(叩かずにそのまま水引きをするという板おこし技法もある)。
内側には丸太の年輪の跡が付き青海波状紋(セイカイハジョウモン・上左端画像)という名前まで残っています。
古唐津の初期の頃は瓶や壺などが主だったが、お茶の文化が入ってくるとその軽さ故、塩壺などを水指にと見立てたり、水指や花入も生産され今日に引き継がれています。
板起こし(いたおこし)
叩技法とほぼ同じだが、最後の工程で叩きをせずに水引きによる整形が特徴で、内側の青海波状紋の有無で判断しないと解らないくらい似ています。
唐津以外の窯での甕・壺等の制作はこの技法でなされてるようです。
畳付(たたみつき)
茶入や水指の底の畳に当あてたる部分を指す。
盆付とも呼ぶ。
現在は、器物の底の部分の総称になっています。
たたら造り(たたらづくり)
「たたら」という、陶土を板状にしたものを、目的に合わせて切ったり、つけだしたりして成形する方法。
日本古来の製鉄法を『たたら』と言うのと全く違い、陶芸のタタラとは板状の粘土のことや、陶土を板状や帯状にしてから成型したものをいいます。
立杭焼(たちくいやき)
兵庫県多紀郡今田町の上・下立杭は、丹波焼(たんばやき)の中心地であるため、丹波焼(たんばやき)の代名詞。
濃(だみ)
染付(そめつけ)の輪郭線の中を、専用の太い濃筆むらなく綺麗に塗りつぶす、下絵付けの技法。
塗ることを有田では濃みという。
下絵の染付の濃みと、上絵の色絵の濃みがある。
有田では、染付の濃み筆は太い特有の筆を昔から使っています。
丹波焼(たんばやき)
兵庫県今田町で中世から続く陶器。中世は自然釉(しぜんゆう)の掛かった壺や鉢、桃山時代後期から江戸時代には施釉(せゆう)の陶器。
胆礬(たんばん)
硫酸第二銅で、緑色の釉や赤い釉の呈色剤。または、黄瀬戸(きぜと)に施された緑の斑点。