古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集

古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集 「く」

櫛目(くしめ)

装飾技法の一つ。
櫛の歯がついたヘラなどで施した文様のこと。

櫛目高台(くしめこうだい)

鍋島焼の皿の高台側面に、染付(そめつけ)で櫛目状に施された文様。
藩窯(はんよう)の製品である証となっています。

九谷焼(くたにやき)九谷(くたに)古九谷(こくたに)

金沢市から小松市周辺で焼かれている磁器。
京焼(きょうやき)の色絵(いろえ)の流れと、緑・黄・紫を基調とする古九谷様式(こくたにようしき)の流れが主流。
九谷焼の発祥は、今からおよそ340年前の明暦年間(1655~57)にさかのぼります。
加賀藩の支藩大聖寺藩の殖産興業の一環として領内の鉱山開発に着手した初代藩主前田利治が、江沼郡九谷村の金山で磁鉱が発見されたことを知り、金山の錬金術師だった後藤才次郎に色絵磁器を焼くことを命じたのが始まりといわれています。
才次郎は、当時すでに磁器の産地として知られていた肥前(佐賀県)におもむき、酒井田柿右衛門によって完成された赤絵の技術を習得しました。
そして有田の工人を連れて帰国するとただちに九谷に窯を築き、加賀の工人田村権左右衛門らを指導して色絵磁器製造に着手したのです。

口紅(くちべに)

皿や鉢などの口縁に鉄を塗ったもの、縁紅(ふちべに)ともいう。
縁が割れやすいための補強用として塗られていました。
唐津では皮鯨といいます。

沓形(くつがた)沓茶碗(くつちゃわん)

瀬戸黒(せとぐろ)、織部(おりべ)、唐津(からつ)など不規則な楕円形をした茶碗などをいいます。
口作りは玉縁で不規則な楕円形をなし、下部にくびれがある鉢や茶碗などをいう。名称はその姿によるもの。御所丸・織部・志野の沓茶碗や唐津の沓鉢はその典型となっています。
うつわの口辺を成形後に押さえ、日本古来の木沓(ぐつ)を連想させる形にした
切立よりも上部が狭まった形で、口は不規則な楕円形をなすものが多く茶碗・鉢・向付などに多く見られます。
御所丸・織部・志野の沓茶碗等は人工的な歪みが主だが、唐津の場合元々は真円の器が多く、それが焼く時の高温などで楕円にひずんだ自然的な沓形が多く見られますが、美濃地方の織部の影響を受けた後の沓形は楕円や歪んだのを重要視して、その目的で作ったのが多くなっています。
それは、織部の沓茶碗と唐津の沓茶碗とを比較すると良く分かります。

国焼(くにやき)

瀬戸(せと)と京都以外で焼かれた茶器。近年は日本のやきものの総称として、また地方窯という意味で使用。

くらわんか茶碗(くらわんかぢゃわん)

江戸時代に淀川で船に酒食を売る商人たちが使った、厚手の染付茶碗(そめつけ)で波佐見(はさみ)・三川内(みかわうち)・砥部焼(とべやき)などの産地の茶碗のことを指します。
使い捨ての器と呼んで言う程の雑器だが、それ故風格があり、胎土もぶ厚くて手取りがずっしりと重く、絵柄も素朴です。
製作年代は江戸時代の中期から後期に掛けての頃が一番盛んした。
一般に文化文政時代の作品であると考えられる。大阪淀川に船を浮かべた一膳めし屋がこの茶碗に雑炊を盛り、行き来する旅人に「めしくわらんか」と呼びかけたことに由来しています。

黒織部(くろおりべ)

織部の一種で、形を歪ませた茶碗に、黒釉が掛け分けられています。
白い部分は白釉が掛けられ、鉄絵の具で桝形や菱形などが描かれています。

黒唐津(くろがらつ)

鉄分の多い釉(うわぐすり)のため、飴色・黒褐色・淡黒になった唐津焼をいいます。
木灰と鉄の含有量が多い岩石とを混ぜ合わせた釉薬をかけ焼成したもので、鉄分の含有量の量や、原料の成分により、黒、飴、柿色などに変化します。
装飾的には拘らない甕や壺などの民具に多く使われています。
黒唐津は、茶碗・壺・水指・花入などがあり、ほとんどの諸窯で焼成されていました。

蛇蝎唐津は黒唐津の一種で、黒釉の上に失透性の長石釉をかけて焼成したもので、釉肌が、蛇やトカゲの肌に似ているところからその名があります。

黒薩摩(くろさつま)

黒物「くろもん」とも呼ばれ、薩摩焼の中でも、黒釉(こくゆう)をかけたものをいいます。

黒楽(くろらく)

引出黒の一種で、楽焼(らくやき)の中で黒色のものをいいます。
低火度(ていかど)焼成ですが赤楽(あからく)よりは火度は高く焼成されています。
小型の窯でフイゴをつけて炭火で焼き、窯から引き出してすぐに水に浸し、黒の色調と楽焼のもつ柔らかさを出しています。