古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集

古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集 「き」

喜左衛門井戸 (きざえもんいど)

「喜左衛門井戸」 一名「本多井戸」
朝鮮・李朝時代(16世紀)
大井戸茶碗・喜左衛門(きざえもん)(国宝)
京都・孤蓬(こほう)庵 口径 15.5cm
慶長の頃大阪の町人竹田喜左衛門といふ者所持しが故に名あり。
又本多能登守忠義に傳りて、本多井戸とも云ふ。
大正名器鑑より

高麗茶碗の良さというか、味わいというものは井戸茶碗に尽きるといわれています。
ということは、茶人たちが高麗茶碗に求めた美しさは、井戸茶碗のような作振りのもの、即ち飾り気のない素朴な姿、全く華美でない渋い落ち着きのある釉色、そして一つの姿として茶碗を観るとき、茫洋とした大きさと、捉えどころのない風格が感じられる茶碗ということになります。
それは正に大井戸茶碗の姿であり、「喜左衛門」はその全てを備えた茶碗といえます。

伸び伸びとしたこだわりのない姿、中央が竹の節のような高台がしっかりと受けているのが印象的ですが、その伸び伸びとしたロクロ目は、井戸茶碗の最大の特色であり、竹節状に削り出された高台も、節立っているがために、全体の姿を引き締まったものにしていることから、やはり大きな見所の一つに挙げられています。
釉は灰褐色のいわゆる井戸の枇杷色釉と呼ばれる釉薬が厚く掛かり、高台廻りは梅華皮(かいらぎ)状に縮れています。
このかいらぎはそれこそ見方によっては不潔な感じをもたせますが、全体の渋く静かな色感の中に、唯一つの激しい景色であるといえ、茶人はそうした変化に目を着けたのでしょう。

素地(きじ)

成形された焼き物の土。
焼成前は生素地、素焼後のものを素焼素地という。

岸岳窯(きしだけがま)

佐賀県東松浦郡北波多村にあり、透明の灰釉(かいゆう)を施した陶器が、初めて焼かれた唐津焼の古窯。
室町中期頃、松浦水軍によって連帰された北朝鮮陶工によって開窯されたもので、いま岸岳山腹に七つの窯跡が残っています。
窯跡出土の陶片を見ると、釉胎・器形・作調ともに朝鮮半島の初期製品に似ています。

黄瀬戸(きぜと)(きせと)

安土桃山時代に美濃で焼かれた瀬戸系の陶器。
淡黄色の釉(うわぐすり)をかけたもの。黄瀬戸は大別して二つに分けることができます。
ひとつは、釉肌が、ざらっとした手触りの柚子肌で一見油揚げを思わせる色のものを「油揚げ手」と呼び、光沢が鈍く釉薬が素地に浸透しているのが特徴です。
多くの場合、菊や桜や桐の印花が押されていたり、菖蒲、梅、秋草、大根などの線彫り文様が施されており、この作風の代表的な作品「菖蒲文輪花鉢」にちなんで「あやめ手」とも呼ばれています。

胆礬(タンパン;硫酸銅の釉で、緑色になる)、鉄釉の焦げ色のあるものが理想的とされ、とりわけ肉薄のためにタンパンの緑色が裏に抜けたものは「抜けタンパン」と呼ばれて珍重されています。
もうひとつが、明るい光沢のある黄釉で文様がないもので、「油揚げ手」に比べると、肉厚で文様のないものが多く、菊型や菊花文の小皿に優れたものが多かったことから「菊皿手」、六角形のぐい呑みが茶人に好まれたことから「ぐい呑み手」などと呼ばれています。
この手の釉には細かい貫入(釉に出る網目のようなひび)が入っています。

桃山期の黄瀬戸は、当時珍重されていた交趾(ベトナム北部や中国南部の古称)のやきものの影響が大きいと言われています。
16世紀後半から17世紀初期(天正期から慶長期初期)にかけて、大萱(現在の可児市)の窯下窯で優れた黄瀬戸が作られていたといわれ、利休好みとされている黄瀬戸の多くはここで焼かれたのではないかと考えられています。

北大路魯山人(きたおおじろさんじん)

美食倶楽部の主宰。
陶芸家で、書家。
本名房次郎。
織部(おりべ)・色絵(いろえ)などに独特の作風で料理のための器を作陶し、食器を芸術品に高めた。
明治16年3月23日、京都に生まれる。
生涯のなかで書と 陶磁器にとりわけ鬼才を発揮した彼は、専門陶工ではない趣味人ならではの当意即妙な意匠の世界に新境地を開き、北鎌倉の山崎に窯を築き、星岡窯と称した。

亀甲文(きっこうもん)

亀の甲らのような六角形を組み合わせた文様のこと。

砧青磁(きぬたせいじ)

砧青磁は中国の南宋前期時代、龍泉窯で焼かれた、やや濁りがあって青味の強い青磁釉の総称です。
龍泉窯は規模が大きく、浙江省南部の龍泉県に23カ所あり、その中には全長80mを越える龍窯もあります。
砧青磁は、厚く釉のかかった特色ある青磁で、無文、線刻、貼花など意匠で国内向け日常雑器が造られていたのと同時に、海外向けの優れた作品が、日本を始めアジアにも多く輸出されていました。

木節粘土(きぶしねんど)

花崗岩が風化して生成した粘土が木片等の有機物と一緒に流され堆積してできた不純物や鉄分を含み、低温では赤み、高温では灰色になる漂積粘土です。
外観は、灰色、褐色、暗褐色をしています。
破面が光沢を持った可塑性及び乾燥強度の高い粘土です。
木節粘土は、堆積粘土(たいせきねんど)で亜炭(あたん)等の炭化(たんか)した木のかけらを含むため木節粘土と呼ばれています。

牛篦(ぎゅうべら)牛箆(ぎゅうへら)

轆轤成型時に使う道具です。
その名の通り牛の舌の形をしています。
主に皿・碗・鉢など作るとき土を伸ばしたり、形を作ったり使い、山口県の萩焼より西部日本地区で朝鮮陶のルーツを持つ陶工達が使っています。

京焼(きょうやき)

楽焼(らくやき)は除いた、京都で焼かれたもの。
野々村仁清(ののむらにんせい)や尾形乾山(おがたけんざん)らにより、色絵陶器の優品が作られた。

金海(きんかい)

日本からの注文により朝鮮半島の慶尚南道金海地方で作られ、またこの種の茶碗の中に「金海」または「金」の文字が彫られたものがあることからこの名があります。
堅手茶碗に似て焼き締まり、また薄手で釉色は白く華やかです。
口縁が桃形や洲浜形をしたものや割高台などの形状のほか、猫掻手と呼ばれる鋭い引っかき疵が文様のようにつけられているものもあります。

金彩(きんさい)

金泥・金箔などを用いて施した華やかな装飾技法の一つ。金付、金焼付ともいいます。

金継ぎ(きんつぎ)

「金繕い(きんつくろい)」や「金直し(きんなおし)」ともいい、割れた部分を継ぎ、欠けた部分を成形し、その部分に金や銀の化粧を施し、器を修繕する技法です。
繕い後を新たな景色となす、日本独特の文化であり美学でもあります。

鈞窯(きんよう)

中国・宋代の河南省禹県を中心とした名窯。失透性の青磁釉とこれに辰砂(しんしゃ)を混ぜた紫紅釉が代表的。
この禹県を明初に鈞州といっていたことから鈞窯の名がつきました。
釉肌の青みは鉄分によるもので、釉薬に藁灰を混ぜることで珪酸が増し、失透性を帯びた一種の青磁釉と考えらています。
白濁失透釉が厚く掛かったものを月白釉、釉裏に酸化銅を施して一面に紅色を呈したものを紅紫釉、月白釉に銅呈色の不規則な紅紫の斑文があらわれたものを月白紅斑といいます。
盤・花盆のなかには極めて精巧な作りで、底裏に一、二などの数字が印されています。
元代に入ると、その作風は大胆になり色調も宋代のものに比べ濃いものが多くなっています。

金襴手(きんらんで)

色無地あるいは色絵(いろえ)や染付(そめつけ)けに金泥や金箔を用いて、文様を付けた絢爛な焼き物。
赤絵金襴とも呼ばれます。